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テーマ:各国の印刷物の歴史【全3話】
【01】日本の印刷の歴史について
世界の歴史を紐解くと印刷はおよそ3000年前に現在の中国の地域で始まったのが有力な説とされています。
印刷と言っても現在のような形ではなく、【割り符】と呼ばれ、身分の高い人が竹に大切な証明を文章で書き、それを二つに割って相手に渡し、それが二つぴったり揃えば本物の公文書である、といったものでした。この時代にはまだ印鑑が無かった時代です。
やがて印鑑、いわゆるハンコが発明され、それが発展して版画の技術が生まれ、現在のような印刷技術が形成されていきました。
日本に印刷が伝わったのは6世紀の中期
中国で誕生した印刷の技術が日本に伝わったのは6世紀中頃、このころの中国は唐と呼ばれ、日本は中国の高度な文化を学ぶために留学生を送っていました。これが有名な遣唐使です。
この時代の日本は遣唐使を通じて中国から朝鮮を経由し、様々な文化を輸入していました。印刷技術も遣唐使が唐から持ち帰った輸入文化の一つです。
日本では仏教の普及とともに印刷が定着
この時、日本は朝廷が政治の実権を握っており、時の天皇である女帝、称徳天皇は印刷技術と同じく唐から伝来した仏教の普及に精力的でした。
仏教を布教するお坊さんには高い地位を与え、日本全国にお寺が急増したのもこの時代です。それに合わせてお経が書かれた経文も需要が高まり、朝廷は100万巻の経文を印刷して全国のお寺に配るという大プロジェクトを打ち立てます。
この時に刷られた経文である【陀羅尼のお経】が日本最古の印刷物とされ、その一部は現存しています。
それ以降、日本は300年間印刷技術が停滞
当時の規模で100万部の書物発行はまさに一大国家事業でした。当然機械なんてなく原始的なアナログ印刷です。小学校の図工の時間に手作業で版画作りをしたと思いますが、あれに毛が生えた程度の技術です。
しかしそこから日本の印刷技術は長きにわたって停滞してしまいます。
日本で印刷を広めたのはお経という文字媒体でした。しかし当時の日本は識字率が非常に低く、字が読めるのは一部の身分の高い人のみでした。
そのため文字媒体をベースとした日本の印刷は急速に需要を失います。
全国のお寺に100万部の経文が配布されたものの、それだけあればお経は十分です。識字率がとても低いためにそれ以上に印刷物の需要が生まれませんでした。
一部の字が読み書きできる人はもっぱら手書きで手紙や俳句などの文章は書きましたがそれを大量に印刷する必要は無かったのです。
当時の日本は識字率の低さからお経以上のベストセラーが300年以上も生まれず、印刷の需要もありませんでした。
当時すでに古典として愛された源氏物語もすべて手書きの写しで流通です。字を読める人が少なかったため手書き書の普及で十分だったのです。
再び印刷需要が高まったのは江戸時代
日本は江戸時代になると国全体も安定し、商業が発展しました。町人文化が花開く時代の到来です。
商売をする上で簡単な読み書きと算術は必須です。寺子屋という、子供に読み書きを教える、現在でいうところの学習塾が江戸時代には普及しました。
識字率が国全体で5割を超えるようになったのはこの江戸時代です。
カラフルな浮世絵が大流行したのも江戸時代であり、日本独自の印刷技術が発展したのはこの頃といえます。
しかし日本は江戸時代に鎖国政策をしており、ヨーロッパで高度に発展した印刷技術からは大きく差が開いていました。
明治時代に西洋の印刷技術を導入、現在に至る
閉鎖的ですが長期安定した江戸時代が終わり、文明開化の明治時代となった日本は積極的に西洋の文化を取り入れます。
印刷技術も同様で、西洋から最新式の印刷機を輸入し、今までの日本独自の印刷規格を見切り、世界基準の規格を新聞印刷などに採用しました。
この頃に西洋の印刷機で印刷される文字をもとに日本語の活字として生まれたのが【明朝体】です。
以上のような急速な印刷革命を日本は明治元年から明治9年までの9年間で成し遂げます。
この9年間に日本で発行された本は4000冊近くあり、その中には福沢諭吉の【学問のすゝめ】もありました。
明治3年には現在とほとんど変わらない形での新聞が発行されており、明治14年には紙幣の印刷が始まりました。
このようにして日本は明治時代に近代国家の仲間入りとともに印刷技術も世界に追い着いたのです。